言葉を尽くせ 『ゴールデンカムイ』の杉元佐一とアシリパさんの関係性

※この話には単行本派としてのネタバレが含まれていますが、登場人物名は「杉元」と「アシリパさん」しか出てきません。

幕開け

2019年の夏、『ゴールデンカムイ』という漫画に出会った。野田サトル先生による、明治時代の北海道・樺太を舞台にしたバトルありグルメありサバイバルありの素晴らしい漫画である。簡単に言うと、アイヌ秘蔵の埋蔵金を様々な人間がそれぞれの目的で奪おうとする話である。その為の条件とかはWikipediaを読んでほしい。もしくは原作を買ってほしい。アニメを観てほしい。よろしくお願いします。

さて、この漫画の第一話で、主人公・杉元佐一は北海道で砂金を探している。日露戦争終結後、杉元は満期除隊しており、幼馴染の眼病の治療費を得るためにそのようなことをしているのだ。しかし全く砂金はとれない。その様子を見ていた酒呑みのそのへんのおじさんから、アイヌの金塊の話を聞くのである。その後、なんやかんやでヒグマに襲われるが、偶然出会ったアイヌの少女・アシリパさんと手を組み、無事撃退する。

そこから全ては始まった。

もう、その出会いから、アシリパさんは杉元を勇敢なシサム(アイヌから見たアイヌ以外の日本人)と感じているし、杉元はアシリパさんに命を助けられた恩から、十歳以上離れた少女を「さん」付けする。僕は単行本派だが、今のところ何があっても彼はその呼び方を変えない。呼び捨てが親愛の象徴だと思い込む全ての人へ届けたいエピソードのひとつである。

なお、この二人のことを僕は友人との会話で「杉リパ」と呼ぶこともあるが、カップリングとして扱っていいものか非常に悩むところではあるので(左右が生まれると、そこに性行為や恋愛感情が含意されるケースがあるため)、この記事では意地でも「杉元」と「アシリパさん」と書かせてもらう。

結局、二人は手を組んで金塊を探すこととなる。杉元は幼馴染のため。アシリパさんは、アイヌの金塊が奪われた際に殺害された父親の仇をうち、金塊をアイヌの手に戻すためである。

杉元は「大人」である

アシリパさんは山での生き方を心得ており、弓矢の扱いも優れている。杉元はアシリパさんに借りるのは知恵だけで、汚れ仕事は自分が引き受けると言った。アシリパさんも人は殺したくないため、その役割分担を受け入れる。これはいわば契約である。獲物を捕らえるため毒矢を装備するアシリパさんに人を射らせれば、相当な戦力になるにも関わらず、杉元は断固としてその役目を強要しない。僕はその姿を、非常に正しいと思った。それが「大人」の役目であり、戦うことができる少女を作り出したり、子供が大義のために人を殺すことを礼賛するようなことはしてはいけない。

杉元は「不死身の杉元」として軍の中ではかなり有名だった。重傷を負っても次の日には戦地を駆けている、と。実際その通りで、彼は白襷隊の生き残りでもある。さらに近距離戦にめっぽう強く、作中で殺した人間の数は甚だしく多い。そんな「男」が、「異民族の」「少女」と旅をする。そんなシチュエーションでも、「何も起こらない」し、「男」は「少女」を利用しない。「少女」も「女」たることを利用しない(利用する、という描写を作者は描かない)。

それがどんなに嬉しいことか。これこそ読みたかったものだと、どんなに心が震えたか。言い尽くせない。いや頑張って書くけども、その「二者間に(とても強い感情はあるが)何も起きない」ということが、どれほど今の時代に貴重なことか、分かってもらえるだろうか。

アシリパさんが人質にとられたときには、「きさま…その子を…‼︎ 盾に…‼︎ 使うなッッ‼︎」と激昂し、同衾しようが、全裸の杉元がアシリパさんと夜の森で追手から隠れることになろうが、「何も起こらない」し、杉元は「大人」として、アシリパさんの安全を確保しようとする。

目的が合致している二人だったが、杉元にだけに別の方法で解決策が見つかったときもあった。だが、それを提示してきた人物に、「「いち抜けた」なんてそんなこと 俺があの子にいうとでも思ってんのかッ」と拒否した。ちなみに、この案に乗っていれば最短一日で、確実に、杉元の目的は達成されるところだった。つまり、幼馴染の治療の為の金額は稼げるはずだったのだ。しかし、杉元はアシリパさんとの約束を選んだ。アシリパさんとの旅にはおそらく年単位の時間がかかり、不透明な点も多いにも関わらず。

二人は対等

「大人」ならば子供をそんな危険な旅路に連れて行くべきではない、という意見があるだろう。それは杉元だって考えたことである。

杉元はかなり早い段階で、アシリパさんをこれ以上危険な目に遭わせたくないと考え、単独行動する。夜中に抜け出し、挙句、同じく金塊を狙う軍(大日本帝国陸軍第七師団)に捕らえられ、死にかける。しかし、それを助けたのもアシリパさんであった。助けられた際、杉元は謝罪するが、アシリパさんはまずアイヌの制裁用の棒で殴った。ちなみに、これは相当痛い。杉元ほどの近距離ファイターが、少女のストゥ(制裁棒)の振りかぶりを見逃すわけがないため、彼は甘んじてそれを受け入れたことになる。その後、アシリパさんは覚悟を甘く見られたことにちゃんと言葉で怒る。これは正論すぎる正論だったため、杉元は黙ってしまう。

結局、気まずいままの夕食となるが、そこで、杉元が携帯していた味噌をアシリパさんが食す感動のシーンがある。

何が感動かというと、これは文化の違いを乗り越えるエピソードだからだ。

アイヌの文化には味噌がないため、アシリパさんは最初杉元のそれをオソマ(糞)だと思い、かなり貶していた。食べられると言われても頑なに拒否していたが、杉元に怒ったその日、アシリパさんはオソマをすごい顔をして食べる。そして気に入る。糞だと思っていた他の文化のものを、口にする勇気。二人のわだかまりが溶ける瞬間である。

ちなみにこの文化を乗り越える場面は沢山ある。アイヌの食文化(動物の脳味噌を食べるなど)を杉元が体験するシーンも複数あり、むしろそちらが順序としては先である。

杉元は身を呈してアシリパさんの安全を確保する(アシリパさんが連れ去られたと分かると、先ほどまで談笑していた相手を殴り、危害を加えると脅されれば秒で首を折る)し、杉元を助けるためならアシリパさんは苦手な蛇だって触るしそれを投げることができる。実際、「杉元に何かあったら私が必ず助ける」という力強い宣言のシーンがある。これは幻覚ではない。

二人は助け合い、互いの文化の違いを乗り越えていける。

強いエピソードの宝石箱

『ゴールデンカムイ』はサバイバル知識も多く習得できる。ヒグマに襲われたとき、雪山で人に追われたとき、人を追うとき、水筒の水が尽きたとき、雪山で一夜を過ごすときなど、人生で一度はある非常時にたいへん役に立つ。その中で、水筒の水も尽きて喉がカラカラになったときは、サルナシの蔓の樹液を飲めばいいと書いてある。杉元とアシリパさんは、この樹液を分け合ったことでも知られている。

他にもこの二人はオオワシの骨を一緒に折ったり、離れ離れになった際に杉元が真剣(物理の方)でハラキリショーをしてその名を轟かせることでアシリパさんに自身の生存を伝えようとしたり、他の物語では到底出会うこともできない"強い"エピソードを仕入れることができる。アシリパさんの調合した毒の効果を、杉元が舌先で確かめるシーンは必見である。

また、アシリパさんの親戚がアシリパさんを心配していると聞けば何ヶ月もかけてやってきた土地で「一度帰ろうか?」となんの躊躇いもなく尋ね、アシリパさんの身内がやった行いについて責任を感じ海亀漁に出たいと言われれば、乗り気ではなかったのに急に「鶴も食べたし亀も食べりゃ縁起がいい!」と爽やかに返して同行する。アメニモマケズカゼニモマケズ。何故「身内のやった行いに責任を感じ海亀漁に出たい」と思うか、読んだことのない人は疑問に思うだろうが、そうとしか言えない。読んでほしい。本当に枚挙に暇がない。あるアプリに二人のエピソードを簡潔に記しているが、150行を超えた。

偶像、盲信

杉元は如何なる時もアシリパさんが生き残ることを優先する。アシリパさんを(自身と同じような)人殺しにしないよう、アイヌとして誇り高く生きられるよう、尽力する。

アシリパさんの存在が、杉元をかろうじて「正気」に繋ぎ止めているのだと思うシーンは幾つもある。杉元は人殺しに長けてはいるが、アシリパさんは不要な殺しをするなと諫言し続ける。

猛吹雪の中で杉元が遭難した際、夢と現の狭間で日露戦争の経験がフラッシュバックした。相手を殺さなくてはいけない、生き残るには殺すしかない、そんな真っ暗な空間に光がさしてきた。それは物理的には灯台の明かりだったが、杉元はその光にアシリパさんを感じ取っている(殺人を繰り返さなくてはいけなかった杉元の肩に、アシリパ手が確かに触れていた)。

僕はアシリパさんと杉元を恋愛関係にしたくない。というのは微妙に嘘で……嘘というか誠実な物言いではない。何故なら僕は十年後とか、アシリパさんが「大人」とみなされる年齢になった二次創作を読み、そこで二人が「相棒」の「他に」、恋愛関係になる話を(解釈が合えば)読むからである。

二人はそれぞれが称するように「相棒」であるが、十年とかの月日が経って、合意の上で恋愛関係になったっていいと思っている。『ゴールデンカムイ』はとても物騒な話なので可能性は低いかもしれないし、それぞれ別の場所で生きていくことをたぶん杉元は最上だと考えている節があるが、それは今は置いておく。

僕はアシリパさんが杉元が女性に言い寄られたり、恋愛的な文脈に組み込まれることを嫌い、嫉妬のような行動を見せることを知っている。アシリパさんは恋愛的に「も」杉元が好きなのかもしれない。それは分からない。僕は、杉元が推定十歳以上下の少女に手を出すような男ではないと信じているし、実際そうだろう。いや、「そうであってくれ」と僕が単に願っている。切に願っている。

僕が言いたいのは、二人の間に恋愛感情が生まれても、それは「相棒」への気持ちが「進化」したものではない、別のものだということだ。恋愛関係が人間関係における上位の物だと思わないでほしいし、ましてや「性欲」を含めたそれが人間関係における最上位だと思われては困る。困るのだ。

いつか恋愛感情が芽生え、そして消えても、「相棒」である二人の関係性は変わらない、強固な信頼は失われない、支え合うことに傷をつけない。そういう二人であってほしいし、僕はアシリパさんと杉元をそうだと信じている。

杉元は人殺しを重ねた自分を地獄行きだと覚悟しているし、アシリパさんに同じ道は歩ませない。だから金塊を手に入れた暁には、二人はそれぞれの目的のため、その後の一生、二度と会わないことだって考えられる。なんか杉元もそんなことを考えている気がする。これは幻覚である。

色々書いたけど杉元がアシリパさんに恋愛感情を抱く様子が微塵もないからこそ、僕は『ゴールデンカムイ』を読み続けられるようなところがある。

だがしかし。杉元はアシリパさんに下心を持って近づく人間がいれば、普通に殴ると思う。殴るならまだいいが殺すかもしれない、とも思う。

杉元に「殺さなくていい」と言ってくれたのは(作中では)アシリパさんだけだった。アシリパさんと杉元は対等だが、杉元の献身はほとんど信仰ではないか、と思うときもある。杉元はアシリパさんを「清い」ものだと思い過ぎている。いわばそれは「偶像」である。杉元はアシリパさんやその親戚に助けられてきたので、アイヌの人たちを見ると無条件に信じるところがある。実際それで偽アイヌたちと抗争になり、結構危険な目に遭った(ほとんど全員激昂した杉元が殺したが)。杉元のアシリパさんへの感情は、「子供(少女)」を利用しようという方向には全く向かないが、アシリパさんを信じるあまり、うまく言えないがかなり危ないバランスで成り立っていると思う。

まとまらない

二人の関係性について述べようとしても、どうしてもうまくまとまらない。

僕は元来、「様々なスペックが優れていると周りから評価されている、恋愛上級者の年下の」が、「人格者であるが恋愛の文脈を理解しない年上の」人物に振り回されるカップリングが好きなのだが、最初、杉本とアシリパさんはその亜種ではないかと思った。恋愛じゃないけど。そもそも全然違うじゃねーか! と思うかもしれないが、そう思ったのだから正直に告白させてくれという話を今はしている。

力では杉元の方が圧倒的に勝るにも関わらず、杉元はアシリパさんの指示に従い、可愛い子ぶり、真摯にその願いを聞き入れる(余談だが僕は相当スペックのある人物が、相手に不要な可愛い子ぶりを見せるのを見るのが好きである)。アシリパさんは十代とはいえ、かなり思考が成熟しているので、属性だけでいうと「年上」みたいなところもある。何を言っているのか分からないと思うが。

だがよく考えなくてもアシリパさんも毒を調合できるので、実際二人は「その気になれば」、確実に互いを殺すことができる。それは事実だ。だが、「その気になんて絶対にならない」ことは真実なのである。少なくとも、『ゴールデンカムイ』を読んだ僕はそう思う。

二人の関係性を、僕の中にある既存のコードに当て嵌めることは本当に難しかったし、今はしなくていいのだ、と思っている。この感情は、敗北感にも似ているし、安堵にも近い。

偶然出会った二人が、同じ目的のために尽力し、様々な理不尽や文化の違い、大量の死者を乗り越え、互いを尊重して生きている。僕はもう、それだけで構わないと思ってしまう。いや、まだ足りないのかもしれない。本当はまだ二人の関係性には続きがあり、新しさがあるだろう。僕はまだそれを知らずに、「それだけで構わない」とか、今は言っている。だって、杉元とアシリパさんは、最高の相棒だから。