何冊か句集を読んだまとめ
最近、句集を何冊か読んだ。家族が句集や和歌集を持っていると、暇なときにぱらぱら読めるのがよい。芭蕉の句集については好きな句をまとめた記事があるのでそれでいいのだけど、石田波郷と蕪村、荷風については書いていなかったのでここに書いておく。僕の記憶のためのメモだ。二次創作短歌の記事でフォローしてくれたひとには申し訳ないけれども、ここはもともとはそういう場所である。
句集を読んで、うわ~俳句ってやべ~と思った。日本に四季があることについて特にありがたみを感じたことはなかったが(最近は秋がいないし)、季節が区切られているからこそその時々に目を凝らすことができるひともいるだろう。短歌の人とたまに話題に上がるが、ひとによって歌ができやすい季節がある(僕は春と冬)。冬は好きな季節だけれど、春は嫌いだから歌ができる。いつだったか「京大短歌」にも書いたことだ。夏は嫌いとかじゃなくてもう生きるのに必死だから、できない。ともかく、「俳句やべ~」を句集から顔を上げて「自然やべ~」に変え、「自然やべ~」を五七五にのせたらいいのだというのはなんとなくわかっている。それに、「俳句やべ~句会して~」と言っていたら俳人の方に誘っていただけたので、とりあえず作ってみなくてはいけない。近々山奥にでも行かなくては(形から入るタイプ)。
荷風俳句集
- 『荷風俳句集』加藤郁乎編、岩波文庫、2013年
永井荷風(1879年~1959年)は俳句だけをやっていたわけではなく、むしろ有名なのは小説家としてで、翻訳や随筆もやっている。僕はあまり歴史の年号を多く覚えているわけではないのだけれど、「え、廃藩置県の8年後に生まれたとか相当前じゃん」と思った。そこから日清・日露・第一次世界大戦・第二次世界大戦、という大変な時期を生きていた。俳句自体はかなりスタンダードというか普通だと思う。この本には狂歌や小唄、漢詩や随筆も載っているがそちらはまだ読めていない。以下、付箋がついた句。
墨も濃くまづ元旦の日記かな
行春やゆるむ鼻緒の日和下駄
涼しさや庭のあかりは隣から
初霜や物干竿の節の上
よみさしの小本ふせたる炬燵哉
門を出て行先まどふ雪見かな
昼間から錠さす門の落葉哉
さみだれのまた一降りや橋なかば
大火事のありさうな日を花ざかり
大方は無縁の墓や春の草
鬼灯や人のそしりも何のその
これからは堅いものを書きます年の暮
風鈴や二階からみる人の庭
名も知れぬ路地の稲荷や桐の花
「これからは堅いものを書きます年の暮」、絶対書かないやろという感じがしていい(書いたのかもしれないけど)。
石田波郷全集
- 『石田波郷全集』第一巻 俳句Ⅰ、富士見書房、1987年
西東三鬼が「彼(石田波郷)は自ら「滅びゆく伝統俳句の晩鐘をおれがゴーンと鳴らしてやる」と豪語した」と言い残した話を読んだ時からもう好きだった。エピソードから好きになってしまうのは一目惚れに近く、危ない。キャラデザを見たときにもう好きになってしまうやつ。有名な句は知っていたが、この前古本屋で上記の本を買ったので読んだ。感想としては「強すぎる」。「俳人がカードゲームになっていたら一枚は入れておかないと負け確」といったところ。以下、付箋がついた句。
『鶴の眼』より
バスを待ち大路の春をうたがはず
噴水のしぶけり四方に風の街
梅雨はげし右も左も寝てしまふ
〈妹上京〉
兄妹に蚊取は一夜渦巻けり新凉の書を読み電車街に入る
雪の嶺且つ褐色の木を蔽う
犬若し一瞬朱欒園を抜け
さぶき空朱欒園裡を溝はしり
雪霏々とわれをうづむるわが睡
雪の午後長き戦の世の紅茶
春遠し兄の拙き戦場便
あとがきに「又、歳月自分の俳句及生活両面に至大の厚情を賜つた水原秋櫻子先生に、今こそ跪いて感謝申上げる」と書いてあって、「ひ、跪いて……!?!?」と声が出た。
『風切』より
犬の尾のいまたくましや椎若葉
十薬の花の十字の梅雨入かな
冷奴隣に灯先んじて
菊咲いて幾年対ひ合ふ屋根ぞ
朝顔の紺のかなたの月日かな
日曜の露おもたしや猫じやらし
浅草や冬霧胸にあふれくる
君長崎へ行くか沈々と酒寒し
霜柱俳句は切字響きけり
〈弟出征〉
丈高くまぎれず征けり冬紅葉
あとがきで改作について、「心のまゝに改作していゝ」とし、「場合により改悪の句もあらうが、それでも止むを得ない。改作できるといふことはその句が動くことである。動く句が目についてそれを放置することは出来ない。改悪は結果に過ぎぬ。さういふ句には将来尚改作の機会があるであらう」って書いているの格好よすぎたし、励まされた。
『病鴈』より
〈留別〉
雁やのこるものみな美しき朝寒の鷺の小膝の水皺かな
手袋やいま薬莢を拾ひもつ
六月や風のまにまに市の音
合歓の月こぼれて胸の冷えにけり
雷落ちて火柱みせよ胸の上
朝寒の豆腐夜寒の豆腐かな
波郷は軍に召集された後発病、その後もずっと病気と付き合っていくことになり、それが俳句にもあらわれる(「境涯俳句」というらしい)。まだこの本しか読んでいないので、早くそれ以降の句集を買わなくてはいけない。
蕪村俳句集
- 『蕪村俳句集』尾形仂校注、岩波書店、1989年
与謝蕪村(1716~1784年)の句を読んだとき、「はぁ~昔(雑すぎ)の俳句ですな~」と思ったが、時折バットで殴りかかるような句がありそのたびにすごく驚いた。最終的には「18世紀にこんなオシャレな句を作って、さぞ変人扱いされたろう」と思った。どうだったかは知らない。そもそも「俳人は自分の句集など出さなくてもいい」と口癖のように言っていた、と記録に残っているのに、「実はひそかに自選句集を書き進めていた」ところがまず面白くていい。「しかし死によって未完」、さらに「ひとり娘の婚嫁の資として頒布されてしまう」(表紙情報)のも残念ポイント。加算どころ。以下、付箋がついた句。
春雨やものがたりゆく蓑と傘
遅き日のつもりて遠きむかしかな
春の海終日のたりのたりかな
うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉
近道へ出てうれし野の躑躅哉
凧きのふの空のありどころ
花に遠く桜に近しよしの川
うつむけに春うちあけて藤の花
菜の花や月は東に日は西に
子規柩をつかむ雲間より
閻王の口や牡丹を吐んとす
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
夏河を越すうれしさよ手に草履
湖へ富士をもどすやさつき雨
さみだれや大河を前に家二軒
行々てこゝに行々夏野かな
あま酒の地獄もちかし箱根山
ところてん逆しまに銀河三千尺
秋来ぬと合点させたる嚏かな
朝がほや一輪深き渕のいろ
もの焚て花火に遠きかゝり舟
落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行
狐火や髑髏の雨のたまる夜に
雪折やよし野の夢のさめる時
〈笠着てわらぢはきながら〉
芭蕉去りてそのゝちいまだ年くれず虹を吐てひらかんとする牡丹かな
うつくしや野分の後のとうがらし
花火見えて湊がましき家百戸
限りある命のひまや秋の暮
石田波郷はキャラデザから覚悟できていたからまだ軽傷だけど、蕪村は最初ノーガードだったところを16連コンボされたようなものだから、「やられた」感が強い。蕪村~~~蕪村のことをもっと知りたいよ僕は……