真鍋美恵子全歌集
真鍋美恵子
川本千恵さんが
歌集や評論集のアーカイブとはちょっと違うけど、現代歌人協会のHPの「現代歌人協会賞」の毎年の受賞歌集の書影と三首選なども優れたアンソロジーとして読める、貴重な資料だと思います。
というツイートをされていて、そういえば見たことがなかった、と思って読んでみた。
そこに真鍋美恵子の『玻璃』があり、
月のひかり明るき街に暴力の過ぎたるごとき鮮しさあり
桃むく手美しければこの人も或はわれを裏切りゆかん
蜥蜴のやうな指してスプーンをわが前に人があやつりてゐる
の三首が引かれていた。興味を持って橄欖追放も読んだけれど、やはり紙で読みたいな、と思い全歌集を手に入れた。
このページには各歌集から十首選(歌集は読了順、歌の並びは掲載順、選の理由は色々です)。
なんとなく『朱夏』から読み、今日(7月3日)には『朱夏』と『玻璃』を読み終えた。
第三歌集『朱夏』(7月3日読了)
黄の蝶が鋪道に影を曳きゆきてあとをしばらく往還の絶ゆ
むし暑きくもりのままに夕づけり身に触れてものの脆く砕けつ
ぬくみ保つ玉子をのめり生きゆくは既にみにくきことかもしれず
身のめぐり寒けくわれのかへりみつ折れたる櫛を箱より捨つる
優越感をもつらしき人の繊き手がわが前に青き果実を切れり
/連作「青き果実」
わが心立ち入らしめず一輪の花瓶の菊あくまでも白し
春の嵐吹く街を来つ地下街にハムの切口の紅き色冴ゆ
返すべき指輪自が手に娘はぬけり苦しみし愛の結末として
遺作展をわれは出てきて夕光となりゆく刻をしばし歩めり
氷車よりしきりに水のしたたれる町角にして真意告げたり
第四歌集『玻璃』(7月3日読了)
修飾語多く交ふる告白の手記の一つを暑き夜に読む
捨て身の如くねむれる猫のゐて海は膨らみを夕べ増しくる
そのかげに犠牲者あるはわが知れる祝宴に白き海老の肉切る
刃物らが燦燦と耀る売場にてその一つ選る兄祝はんと
青きインク吸ひたる紙がなまなまと机にあり人をわれは妬めり
貝殻骨うすき少年が湖に向ひて放つその銀やんま
冬も尽きんと思へる夕べ宝石をめぐる犯罪の記事一つあり
九官鳥の籠に黒布を被ひたる部屋に密葬の燈はともりゐつ
くるぶしのいたいたしきまで白き娘が立ちをり山脈の襞深く見ゆ
花束をかかへて人の降車りゆきし空席をしばし目にもてあます
第一歌集『径』(7月5日読了)
花を彫り鳥刻みたる鐙あり闘争の歴史をかなしみ思ふ
汁に入れしさやゑんどうの筋立ちて今年の春もややにふけぬる
夜半の嵐晴れたる庭に一本のサルビアの朱は激しさをもてる
寒照りのつづきて久し月読は夕ぞらにはやも光さえつつ
縁先に線香花火の火は映えてささへゐる子の手の細う見ゆ
子があそぶ水鉄砲の先それてたまたま散らすつまぐれの花
木木のかげ朝の歩道にさやかなれ頭を上げて吾もあゆまな
云ふべきはひるまず云ひつ呑みし茶の咽頭に冷たく下るを覚ゆ
一鉢のばらをひたすら培ひてつちかはれゐし吾に気づきぬ
この郷を遠くかこめる山脈の線のきびしさにま向ひ立ちゐつ
第二歌集『白線』(7月5日読了)
今日の在り方にいつはりはなし魚買ひて濡れたるつりをわれは掌に受く
生くることわりありて生くると疑はず厨に葱をみじんに刻む
残雪のよごれしを踏みて帰り来つ積極性すでにわれにうすれて
あやふく花を保てる一本の桜は闇に量感を持つ
ひまわりの芯黒黒と日に向けりわれの一面がむき出されゐる
黍畑に押しひろがりてゆく雲の重量感を頭に感じ居り
もとめ来てまだひもとかぬ書一つこころに保つはおごりに似たる
遠き祖先が食すものとなしし白飯の味のかなしもよ壕にて食せば
墓原に冬かげろふは燃えて居り一生をここに終へし村人
さ夜ふけて西に寄りゆきし稲妻のたまたま明く障子を染めつ
第五歌集『蜜糖』(7月7日読了)
炎日のかがやく下にしづまれば街は空白の祭壇に似つ
白猫も青磁の壺もかがやけばかかる夜擾乱はたやすく起きん
白き壁深夜の室に囲めるにしきりに時計の文字盤乾く
ま二つに氷塊切られゆくときに紫の炎となれる荒鋸
首長き壺のみどりがなまなまと燈にあればすでに遺品めきたる
硬き果実のごとき額して人は立つ季節風吹く空路きたりて
朽ちし井戸に今も棲めるといふ鯉の雪ふる夜は炎ゆらんその緋
旺なる合唱のごとき落日に向ひて長き陸橋渡る
鳥裂きて指紅みたる義姉に言ふ残りしものは長く生きんと
雛鳥の白き骨片がのこりたる皿あり湖に対ふ夜の卓
第六歌集『羊歯は萌えゐん』(7月9日読了)
何物か充ちたる壜が並びをり夜の立体のするどさにして
屋上園に罌粟みな開き垂れてゐるクレーンの鈎はげしく乾く
肋青き硝子工が管に硝子吹く息ながく灼けし硝子液吹く
よごれたる雪に日の照れり銀細工師の葬りの人ら散り易くして
ざくろの実にふかき亀裂は生れたらん夜の明けがたを星座燃ゆれば
遠き海のひびき聴くらし顎骨のしたに暗黒を人は溜めゐて
楡の木の彫ある壁に背を当てて言へり救はるること願はずと
人の額に蘭の影黒く動かねばきこゆとおもふ遠き潮鳴り
いかなるものをも置かぬ斎壇となりたり暮るる野の地平線
わが前に信頼に似つつかがやけり肉削がれたる鳥の肋が
第七歌集『土に低きもの』(7月18日読了)
春の嵐すぎゆきし夜半剥製の鳥の尾は勁きむらさきに反る
まぼろしに一度たちてそれよりは遂に顕つことのなき白き塔
しきりに美しきものを恋ふる日に劇薬箱の鍵あづかりぬ
土器の破片が破片をかたみに呼び合ふとおもへり風の絶えたる夜半に
たちまちに驟雨はれゆく野の平少年を少年は背後より呼ぶ
むなしき思ひにあゆみきたる道合鍵を作るといふ店がある
くろぐろと長き髪女は束ねたり星の落つるを今見しと言ひて
深夜を虹青く立て明日は伐らん老いたる欅空に枝張る
油火の炎ゆれつつその光血より鮮し寺院の央に
鳥裂きてシャツよごしたる若者が立ちあがるとき紺の空負ふ
第八歌集『雲熟れやまず』(7月18日読了)
蕺草の花群が月に炎えてゐる夜にてあればわれは額剃る
いかなる明日われにきたらん死魚の開くその口中はうす蒼くして
ことごとく壊えし船体が体温のごときもの持つ秋日のなかに
その髪に湖のにほひの如きもの人はもつゆゑ長く語りぬ
暮れんとして夕べの長さ一人を憎めばわれのてのひら粘る
/「かがやく魚鱗」
古き塔見にゆかばやと誘はるることもなくして春は闌けたる
オリーブの油もて髪を養はん壊えゆく塔を訪ひゆかんため
/「壊えゆく塔」
長きうなじ翳りて麒麟の立てるときすでにさびしも秀でしものは
西日さすレストランにて友が言ふ運命論にわれはあらがふ
ふりむかず行きたる人がわが裡に一本の青き楡の木となる