『短歌研究』2021年8月号(「水原紫苑責任編集・特別増大号」)

「女性が作る短歌研究」

『短歌研究』8月号が発売された。第九回中城ふみ子賞の発表が載っており、「水原紫苑責任編集・特別増大号」としても話題になっている。「女性が作る」ことをまだ敢えて言わなくてはならないのか、という声もあるかもしれないが、言わなくてはならない。少なくとも僕は、ここから始められる、と思った。創刊90年で初めてのことであればなおさら、このことを広く伝えなければならない。

掲載は五十音順であることも嬉しい。また、巻頭の水原紫苑さんの

これは女性とジェンダーを中心とする短歌の特集号です。ジェンダーという概念自体いまだに流動的ですし、女性と男性という二元論では切れないグラデーションの世界だと私は考えています。そこでさまざまなジェンダーの作家に執筆や座談会の参加をお願いしました。

という言葉もほっとする。単に「男・女」で分けたときの「女」である歌人を集めて編集しました、というものではない。改めて、今回の企画にお声掛けいただいたことを光栄に思う。ありがとうございました。

表紙も好評のよう。青色で、ネコで、よかったと思った。色や柄に罪はないけれど、ここでどうしても〈女性らしさ〉とセットで扱われてきた色や柄が出てきたらどうしようかと考えていた。そしてこんなつまらない心配をしなくてはならないほど、「女性」とついた企画に失望してきたのだと気づいた。デザインをしてくださった方々にも感謝を申し上げたい。

大森静佳さん、小島なおさんの新作100首連作が巻頭にあることがまず驚きだが、紀野恵さん、水原紫苑さんの50首連作、大滝和子さんの30首連作、29名が寄せた10首連作も読むことができ、対談や評も目白押しで圧倒される。

大森静佳「ムッシュ・ド・パリ」、小島なお「両手をあげて、夏へ」(100首)より

無重力 だってしずかであるほどに怒りは白鳥を呼びよせる
叫ぶならいまがいいよね 額縁は絵よりも速く老いてゆくから
口角から顔がほろびてしまうから桜吹雪にふりむかないで
名を呼ぶというまぶしさの断崖にあなたを呼べり手ぶらで呼べり
制服のようにあなたを羽織りたい金のボタンをぜんぶぜんぶ留めて
/大森静佳「ムッシュ・ド・パリ」

以上が5首選。

「ムッシュ・ド・パリ」は「Ⅰ 点」、「Ⅱ 線」、「Ⅲ 面」の三部に分かれて構成されており、それぞれユゴーの『死刑囚最後の日』(小倉孝誠訳)からの言葉が添えられている。

大森さんは顔に関して印象的な歌が多い。それは人間の顔についてだけではなく、

桜には横顔がないからこわい春から春へ枝をのばして

という歌が前半にあったと思えば、

ひまわりはもしくちあらば口臭のきつそうな花 あなたの前に

という歌が後半にある(昆虫の顔の歌もある)。

ぜんぶってつらい言葉だうつむいた顔のちからで吸うアイスティー

という歌を読んで、数年前の大森さんの「グレゴリオ聖歌顔面で吸う」という凄まじい下の句を思い出した。メモが見当たらず、検索をかけても大森さんが歌をつくるときに聴いているという情報しか出てこなかったが、あったはずである。ご存じの方は教えていただきたい。

「ブロンズの兵士」や「モナリザ」といった芸術品の歌も多く、『カミーユ』に引き続きこういったモチーフの歌が読めることが嬉しい。

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ふたりならふたつのあたま揺れる部屋 想像よりも月面はすぐ
死ぬことが怖いのではない朝ごとに牛乳の白注いで立たす
奪われて終に残れるものとして掌はありそれを繋いで
栞紐ほぐして傷つける文庫ずっと他人が必要だった
間違っていてよ、右手に靴提げて二人称の表情をして
/小島なお「両手をあげて、夏へ」

以上が5首選。

短冊を絵馬になびかせおおいなる頭部この世はすべて願いごと

という歌にも見られるように、この一連にも「願い」は込められている。歌の中にある「黙祷」や「デモ」といった語も「願い」の一種であるし、

Tay, あなたへ
その喉に雪は降るのかよそよそしい言葉でもっと嫌ってほしい

繋いだりしないで星を D棟のひとつ開いている夜の窓

「間違っていてよ」の歌もそうだが、こうした歌には相手への切なる呼びかけがある。

紀野恵「長恨歌」、水原紫苑「片足立ちのたましひ」(50首)から

  玉環
贅沢が敵だつてこの贅沢は賜りしもの我が物に非ず

  隆基
見しやうに美貌を語るこのをとこ詩人の成れの果てかもしれぬ

恩愛はうへから降つてくる雨の避けやうも無くはや止みたまへ
/紀野恵「長恨歌」

以上が3首選。

はじめは、白楽天の「長恨歌」を引用しながら展開していく連作が理解できるだろうかと思いながら読んでいたが、(本筋は理解できていないのだろうが)口調は軽めでかなり分かりやすかった。喋りのうまい落語家はたぶんこんな感じなのだろうと思った。

前半に出てくる

〈恩澤〉つてわたくしこそが恩澤で〈寵愛〉つてそりや一方的で

の歌は、後半にある「恩愛の~」と似たテーマを持っており、リズミカルに随所で一連を支えてくれているおかげで読み進めることができた。

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スペインの騎士にまみゆる朝な朝な片足立ちのたましひとして
可憐なる翼龍を知るはつなつや説かばさびしき韻律のこと
こはれゆくなづきを銀河に浸すまで落城のおもひを火のゑがくまで
/水原紫苑「片足立ちのたましひ」

好きな歌を3首選ぶならば上のようになる。が、天皇制や戦争についての歌も多くある。

天皇の氣配あやしき水無月の草叢に立つ亡靈は
視界白くなりゆくまでに降る雨の彼方より來る獨裁ディクタートゥーラ
しんじつのふらんす、しんじつの沖繩を知る日あらむか紺靑のあふぎ

近年の水原さんが社会批判の歌を多く作ることは既に、『水原紫苑の世界』(深夜叢書社、2021年)でも指摘されている。

水原紫苑の歌は、ひとが生きて死ぬこの世界の残酷さを深く見つめつつ、鎮魂や悼みに流されていかない。むしろ、苛立ちや怒りにも似たとても騒がしいものを内側に充満させて、一首一首がぎらぎらと輝いている。
/大森静佳「みごもる魂」

川野芽生さんは鋭い社会批判の姿勢が、「特に『光儀』、『えぴすとれー』、『如何なる花束にも無き花を』に顕著である」と述べる。

〈われ〉はもはやかつてのように安らかに世界を是認しておらず、怒りと痛みを持って世界と対立している。
/川野「幼年期の終わり」

今回この一連を読み、改めて水原さんのこれまでの歌集や、『水原紫苑の世界』を読み返してみようと思った。

大滝和子「母と素粒子」(30首)から

母よ あなたとホットケーキを作ったことが貝殻のように残る
素粒子と母のわからないところ どちらも黙示の鍵かもしれず
父の死の後に母逝きて空間は口承文学のつづき

以上が3首選。

おそらく病気の母を看取る一連に、「宇宙」・「光速」・「数学的精密思考」・「素粒子」といった単語が並び、不思議な感覚がある。

母は私を宇宙に逢わせ 宇宙は私を母に逢わせ 時計

「母」は「私」を産んだ存在だろうから、「母」の後に「私」の存在があるはずだが、この歌では「宇宙」というものが挟まって時空が曖昧になっている感じがする。「私」と「宇宙」の前に「母」がいてその二つを引き合わせたと思えば、一字空けの後では「私」と「母」の前に「宇宙」がいてその二つを引き合わせたように見える。最後の「時計」も、日ごろ見ている速度で進むものではなくめちゃくちゃな進み方で、その形状すら歪んだものではないかと空想する。

新作10首連作から

それぞれ1首ずつ引きたい。

敵に弓引くしぐさに似て傘ひらくふつうに女がやるしかない
/飯田有子「月と女」

あしあとをほのおでつけるおんなのように宇宙とはただ重たさである
/井辻朱美「リフレン、リフレン」

(その連なりがうただというの?)にんげんの砦はほんとうにつまらない
/井上法子「花・野原・魚の腹」

舟を押す人へ とどめを刺した人へ 鯨のたましひ分かち合ふなり
/梅内美華子「むらさきの海」

ごめんねと言って花首を切り落とす日本はもうだめかもしれない
/江戸雪「アップデート」

たましひのサーフボードにわれをゆだね二人称にて神を呼びたり
/大口玲子「二人称」

美しい手の壊れかた人間の関節に丸い骨は選ばれ
/尾崎まゆみ「花の企み」

執拗に意思を問われるネモフィラと銃創を取り違えたいのに
/帷子つらね「シャドーロール」

うん、元気。うん、テレビ局。他所よその家のりっぱな薔薇を胸に盗めり
/北山あさひ「変身」

かんむりもかんざしも去り夜に日に死者は生者のだれよりも近し
/小池純代「十韻」

鉛筆を削りはじめる、のこさずに削つてしまふ、春つてこれだ
/笹原玉子「いつまであをい」

旱天にひとりあそびの神ありてあなたも奇妙queerわたしも奇妙queer
佐藤弓生「はなばなに」

雨覆ひに覆はれたりしをんならの声よ水芹クレソン繁茂しやまぬ
/高木佳子「雨と白雷」

寵愛がをみなをころすやはらかきはるさめにぬれそぼつごとくに
/田口綾子「馬前に死す」

履歴書の写真しかない二十代のわたしに生えていたのか脚は
/田宮智美「花降る」

血を容れてこころを容れてこれ以上怖い 夕顔揺れている道
/道券はな「退路」

会議のさなかふと思いだす今はもう存在しない引戸のしくみ
/戸田響子「存在しない音が聞こえる」

消去法で生きるも愉し近用の冷蔵庫のなかみっちり詰めて
/富田睦子「ゆうがたの風」

まだどこかで元気でやっているものと子は信じいる銀の自転車
/永田紅「うすめる」

立直ならとっくにしている仲なのに自摸で上がってしまったようだ
/野口あや子「二盃口リャンペイコー

われに対して決して他人でなきわれがいること重く座布団の上
/花山周子「そらみみ」

古ぼけた住処を壊す計画を終えて未来の椅子のいくつか
/早坂類「その後の僕ら」

「オフィーリア」の枝変わりで「マダムバタフライ」って
名付けた奴は何考えて
/林あまり「夏の嘘」

松村日常は日常であり水色のわたしが死なぬように欺く
/松村由利子「夜が明ける前に」

生きてまた百年先のデニーズで季節の鉱石のミニパルフェを
/睦月都「真夜中の偏食家たち」

どの夜もふくまれている今日の夜記憶は狼煙火事ではなくて
/盛田志保子「狼煙」

善人でありたいばかり 祈るやうに机に向いて箸を割りたり
/山木礼子「甘夏」

見染められ見染めてあなたの口のなか黒光りする舌を見せてよ
/山崎聡子「メルヘンと慰霊塔」

最後に自選の一首を。

連なったコットンパールが曇る日もあなたの声の銃座はあなた
/榊原紘「Geschichte」

今回は詳しく引用できなかったけれど、評では、平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』・北山あさひ『崖にて』・谷川由里子『サワーマッシュ』・川野芽生『Lilith』について触れている石川美南さんの「侵される身体と抗うわたしについて」、黒瀬珂瀾さんの「短歌と僕の生/性について」、平岡直子さんの「「恋の歌」という装置」を特に面白く読んだ。対談を含め全てに目を通せたわけではないけれど、これから読み進めるのが楽しみだ。

僕は大森さんに6年ほど前に掛けていただいた一言で、たまたま短歌をやめずにいるだけの人間に過ぎなかった。今年に入ってからも短歌に関連したつらい出来事はたくさんあったし、最近第二歌集を作ったのも(パスワード制のページに書くつもりだけれども)全部が全部明るい理由から、ではない。けれど寄稿者としてこの号に携わることができて心から嬉しく思う。大森さんと水原さんにはお手紙を差し上げているのでそこで伝えるべきことは書いたけれど、生き直すチャンスを人からいただけるとすれば、今回のようなことだと思う。依頼を出したことが間違いではなかったと思っていただけるような作品を、今後も作りたい。皆さんにもこの『短歌研究』8月号を、ぜひ読んでいただきたい。よろしくお願いします。