蕪村おはなし会まとめ

蕪村おはなし会

こちらに書いた通り、2月10日に「蕪村おはなし会」を行いました。三人で一時間半ほど蕪村の句について語りました。

それぞれ十句選をして発表し、僕はレジュメも作成させていただきました。

レジュメは主に高橋庄次『月に泣く蕪村』をもとに作成し、蕪村の出自がメインの内容でした。芭蕉が「松尾宗房」や「松尾桃青」と名乗り、「発句なり松尾桃青宿の春」という発句を詠んだことに対して、蕪村は生家の氏姓を名乗ったことがなく、「谷」と「谷口」で説が分かれている(署名もない)こと、几董の文章の初稿・草稿・定稿の比較を書きました。

十句選

()内は句番号

春の海終日のたりのたり哉(117)

あまりにも名句だが、書かざるを得ない。韻律がいい。

近道へ出てうれし野ゝ躑躅哉(148)

註に「播磨・肥前に同名の地名があるが、ここは架空の歌枕名か」と書かれていて、遠回しに「うれしいって言いたかったのでは」みたいな感じでかわいい。

凧きのふの空のありどころ(161)

凧が昨日と同じ場所にあることを……こうも言えるのか!?

夏河を越すうれしさよ手に草履(318)

俳句では「うれしさ」と言わない方がいい、と思っていたのですが、言ってもよく、言ってなおよい。

涼しさや鐘をはなるゝかねの声(427)

「鐘をはなるゝ」……「かねの」「声」!? 涼しさの中では音もよく響く気がする。

ところてん逆しまに銀河三千尺(451)

僕が俳句を作ろうと思ったきっかけの句。俳句は十七音の中の狭い詩ではなく、その中で簡潔に何かを言い切るものでもない。これだけ広い絵を見せ、そしてそのただなかに放り出される心地がした。ただ、この句は李白をもとに作られたので、李白が偉いのか? そのあたりが分からない。

貧乏に追ひつかれけりけさの秋(460)

貧しいのに余裕があってカッコイイ。

山は暮て野は黄昏の薄哉(487)

『一茶俳句集』の参考に置かれていた句。こんないい句があったのかと思い、十句選を改めた。「山は暮て野は黄昏」だけですごいのに、薄までカメラを強引に動かしてくる力業。

朝がほや一輪深き渕のいろ(496)

確かにそうだ。

落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行(645)

画が見える。かつ動的なものも句に同居している。

おはなし

「死をこともなげに言う」句

草いきれ人死居ると札の立(383)

の句は、「死をこともなげに言う」すごさがある。触れ方としては自然への触れ方と同じだが、「死」という衝撃的で避けようのないものに同じ触れ方をすると、そこに驚きが生まれる。

同じような句はないかという話になり、

死にたれば人来て大根煮きはじむ/下村槐太

大寒の埃の如く人死ぬる/高浜虚子

を挙げていただいたので、僕は

不揃いの長靴が行く雪の葬/石田一郎

人の訃やネクタイ替へて秋風に/岸本尚毅

を挙げた。他にもまだまだありそうだ。死というのはその大きさのなかに、

泣くまいたばこを一本吸う/夢道

死顔や林檎硬くてうまくて泣く/三鬼

といった激情を含めることができる。だからこそ「死をこともなげに言う」俳句が他にもあれば知りたい。

絵画的な句

狐火や髑髏に雨のたまる夜に(738)

鍋さげて淀の小橋を雪の人(773)

蕪村の句は「絵画的」だといわれるのを見たことがあるが、それと「写生」の違い、どういったものが「絵画的」だといえるのかについてもう少し知りたいという意見があった。

「今」

山の端や海を離るる月も今(537)

俳句は「今」のことを普通は詠むので、「今」とわざわざ言わなくてもよい、という暗黙の了解があると思っているのだが、言ってもいいし、言うことでよい句だと思えるものもあるのを知った。

隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな/加藤楸邨

春や今水に影ゆく鳥と雲/去来

「今(いま)」を用いた名句を教えてもらった。

「物語」がある

待宵や女主に女客 (遺稿379)

わざわざ「女」と入れるのは何故かという意見があり、確かになぁと思った。註に「本来は恋の詞」とあるので、ここに一種の物語を見ているのは間違いないと思う。「女と女」の景が「創作」、「ファンタジー」である、と言いたいのではなく、むしろ蕪村は「女主」と「女客」の関係性にむしろ特筆すべき何かを感じているのではという意味である。

春風の女見に出る女かな/一茶

この句も同じように「話」がありそうだなと思っている。

蕪村には他に、

宿かせと刀投出す雪吹哉(822)

さしぬきを足でぬぐ夜や朧月 (57)

「本当にそうだったのか?」(想像ではないか・時代が違うのではないか・物語や他のジャンルのものを俳句でやっているのではないか)という句がこの他にもあり、当時の人には共有されていたイメージや流行りみたいなものを引き継いでいるように思った。一茶に狂言などをもとにした句があったので、余計にそう思うのかもしれない。

起て居てもう寝たといふ夜寒哉(649)

この句は「それって昔もあったんだ」という声が多かった。「寝た?」「寝た」と言い合う、修学旅行の夜みたいな景……。

おわりに

蕪村は派手な句が多くて、読むのが楽しかった。ふーん、と読み飛ばしてしまう句もあるのだけれど、いいと思うときはジャストでくる、ホームランを打ってくるところがある。

おはなし会をまた行いたいと思った。必然的に入手しやすいものになるので、角川ソフィア文庫のものがいいだろうか。